2012年9月23日日曜日

第3回 山形県小国での保養 2日目 大人の時間で聞いたお話 ~震災当日編~

黒豆を食べながら、弾むお話。
お母さんたちの話は、初めてお聞きするものも多いんです。
特に、それぞれの震災当日の話は驚きの連続です。
ここでは、2つのお話をご紹介したいと思います。

一人目は、未就学児の2人のお子さんを持つAさん。
Aさんはマンションの14階に住んでいます。
震災当日は、体調を崩して幼稚園?保育園?(すいません、曖昧で)をお休みしていた長男もたまたま一緒に家にいたそうです。
そこへ、突然の緊急地震速報の予報の音。
聞きなれない音に戸惑っていると、大きな地震が。
14階にある部屋は大きく揺れ、ふとベランダを見ると、大きく振れているためいつもは見えない景色が見えたそうです。
揺れが収まると、ぐちゃぐちゃになった部屋から逃げ出し、2人の子どもを抱えて14階の階段を下りました。「本当に大変だったんです」。
マンションの中には、ドアが開かなかった階もあったといいます。「ドアが開いてわたしたちは幸運でした」。
14階の階段を2人の子を抱えては上ることができないため、旦那さんとも連絡が取り、家族で避難所に行くことにしたそうです。

地震発生後、大雪が降り始めます。
多くの人が避難所に身を寄せている中、避難所のドアを外からたたく大きな音が。
見ると、男の人がわんわん泣きながらドアをたたいています。

男性:開けてくれ!頼む!もうガソリンもないんだ。お願いだ。開けてくれ!
担当者:すいません、浜の人は中に入れることができません。ここには被ばく量を測る機械も除染するための準備もしていません。○○の避難所にはありますから、浜の方はそちらに行ってもらっています。
男性:もうガソリンがないんだ。そこまでは行けない!開けてくれ、頼む!

担当者:すいません・・・

このやり取りが辛すぎて、Aさんはその後どうなったかは見ていないそうです。
Aさん:大の大人の男の人があんなに泣いている姿を初めて見ました。でもどうすることもできなくて本当に辛かった。どうして避難所に指定されているような場所に準備がなかったのか・・・。それが本当に疑問です。


二人目は、“山津波”の被害に遭ったBさん。
Bさん:山津波って知ってます?
その場にいたBさん以外の4人中3人は知りませんでした。

BさんはAさん同様、一番下のお子さんとBさん自身が体調を崩し、家におじいちゃんと3人でいました。
地震の大きな揺れを感じて、揺れが収まったあと、窓から外を見ると上流から立ったままの木々と家が流れてくるのが見えたそうです。
Bさんの家はダムから10㎞程下流にあるそうですが、山が崩れ、ダムが決壊し、下流のまちに押し寄せてきたのです。それが山津波です。

Bさん:水が来たから、とっさに窓を閉めました。パニックになってたんですね。でも、外へ逃げなきゃって思い直して玄関のドアを押したのですが、ドアが開かないんです。既に外には水が来ていたんですね。それで、部屋の窓を開けて外へ出ました。
その時にさらに水が来て、流されたんです。

Bさんはなんとか陸に流れ着き助かったそうですが、ご近所の方は何人か山津波のために亡くなったそうです。
買ったばかりの新車もダメにしたとか。
Bさん:津波は地震発生から早くても20分くらいと聞いたけど、山津波は10分できたんですよ。


このお二人の話は本当に聞いたことのない話でした。
まだまだ知らないことがあるのだと、改めて実感しました。
貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。


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